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せかキラ最終回直前に、万葉が真紀の気持ちを
確かめようとして実行されたGame of searches。
真紀が万葉を追い東奔西走した2つの駅を検証してみよう。

ci調査ファイル011
万葉の待つ駅へ向かえ

− 最初の鍵 −

せかキラ77話14p5〜6コマ目に描かれているとおり、真紀に渡された最初の鍵は

「T駅東口コインロッカー30番」
である。既にファイル002や006〜009等で述べているとおり秋吉家が三河地方東部にあるとするならば、万葉が各ロッカーにメッセージと次の鍵を入れて行く準備時間や移動に必要な交通費額から考えても、この「T駅」もこの地域周辺の駅であると考えて良いだろう。また、あえて「T」駅と書かれている事から考えると、ローマ字読みで「T」から始まる駅名であることが考えられる。

そこで、この地域にある鉄道の駅名で、頭文字が「T」となる駅を検索したものが下記の表である。

名古屋鉄道(株)
路線名駅名
名古屋本線 豊橋(Toyohashi)
豊川線 豊川稲荷(Toyokawainari)
三河線 寺津(Teradu)
棚尾(Tanao)
玉津浦(Tamatsuura)
高浜港(Takahamaminato)
竹村(Takemura)
豊田市(Toyotashi)
東海旅客鉄道(株)
路線名駅名
東海道本線
東海道新幹線
豊橋(Toyohashi)
飯田線豊橋(Toyohashi)
豊川(Toyokawa)
東上(Toujyou)
鳥居(Torii)
東栄(Touei)

これらの駅のうち、名古屋鉄道三河線の寺津・棚尾・玉津浦・高浜港・竹村駅及び東海旅客鉄道飯田線の東上・鳥居・東栄駅は無人駅もしくは小規模駅でありコインロッカーが設置されているとは考えにくい。更に駅の構造を調べると豊橋駅・豊川駅・豊田市駅には各々「西口・東口」の2カ所出入口があるが、豊川稲荷駅は出入口が一つだけであり「東口」と呼ばれる出入口は存在しない。つまり、「豊橋駅・豊川駅・豊田市駅」の何れかが「T駅」のモデルとなったと考えられるのではないだろうか。


− 第2の鍵 −

最初の鍵と同じく、せかキラ77話16p2コマ目に描かれた鍵は

「T駅西口コインロッカー(No.は未記載)」
の物である。先に述べたように「豊橋駅・豊川駅・豊田市駅」の3駅とも「西口」が存在するので、この段階では何れか一つの駅に絞り込むことは出来ない。


− 第3の鍵 −

この鍵は紙面上には登場しておらず、せかキラ77話17p5コマ目の「駅の地下へGO」のメモと18p6〜7コマ目の真紀の行動から、

「T駅地下コインロッカー(No.は未記載)」
が存在したことを伺う事ができる。また、先の3駅のうち「地下施設」を持つものは「豊橋駅」だけであり、この鍵で「T駅」が豊橋駅である可能性が高まったと言える。


− 現地調査(1) −

そこで、従来通り現地に赴いて、駅舎の構造及び周辺の状態を追従してみたところ意外な結果が判明した。

豊橋駅には東口にも西口にもコインロッカーは存在しなかった。また駅舎・コンコースは全て高架橋上にあり、同高架に駅東西を結ぶ自由通路が設置されており駅地下部にもコインロッカーは存在しなかった。
豊橋駅コインロッカー同駅唯一のコインロッカーは自由通路中央付近のものだけである。
豊橋駅東口
豊橋駅西口
念のために豊川駅も調査したが、東口・西口に係わらずコインロッカーそのものが存在せず、地下街・地下通路も存在しなかった。
豊川稲荷駅コインロッカーコインロッカーについては隣接の豊川稲荷駅に設置されているのみである。
豊川駅
さらに、豊田市駅も確認してみたが、この駅はホームが3階にある高架構造であり2階部分に駅舎、1階に店舗が配されており、この駅にも地下街・地下通路は存在しなかった。また、駅コンコース内にコインロッカーらしき物は発見できなかった。豊田市駅西側
豊田市駅東側

以上の通り、現時点においては「T駅」の条件を満たす実在の駅は存在しなかったのではあるが、調査協力者より「以前、豊橋駅には西口にもコインロッカーがあった」との情報を入手する事が出来た。では、以前とはいつ頃なのであろうか?


− 再検証 −

豊橋駅の戦後の歴史を探ると昭和25年(1950年)に初の民衆駅として建造され、昭和45年(1970年)と平成9年(1997年)に改築を行っているとのことであり、作中に描かれている年代を考えると平成9年改築以前の駅舎をモデルとしていると考えられるのである。しかし改築前の豊橋駅の構造を探るべく文献や資料を探したのだが、結局のところ「現在の駅案内図」や「初の民衆駅として建築された昭和25年当時の駅構内図」は図書館などで公開されているものの、昭和45年〜平成8年までの駅舎に関する図面については公開されている資料は見つけることが出来なかった。

そこで、現在の「豊橋駅ステーションビル」を管理する部署へ改築以前の資料が残っていないか取材を試みたところ、幸い「昭和45年改築当時の施工図」が残っており、閲覧する事を許された。その図面や管理部の方の話によると、昭和45年の改築当時には駅東口側に「手荷物預かり所」があり、時代の趨勢からその場所がコインロッカーに置き換わったとのことである。また、「新幹線口(西口)にもコインロッカーが設置されていた」「平成9年の改築時に閉鎖された地下道にもコインロッカーがあったかもしれない」との話を伺うことが出来た。

念のため、豊川駅と豊田市駅についても調べたところ、豊川駅も平成9年に改築されているが、改築以前より地下道は無かった模様である。豊田市駅については昭和61年(1986年)頃に現在の駅舎に改築されており、作中の年代においても現在の駅と同じ姿であることが確認された。

以上により、「最初の鍵」〜「第3の鍵」までのコインロッカーは豊橋駅のものであった可能性が最も高いと推測されるのである。

※推測の唯一の物証である「豊橋駅の昭和45年改築当時の施工図」については写しを入手しているが、平成9年の改築においても昭和45年の構造物が一部流用されていることもあり、警備上の問題等の観点から公開を行わない事とする。

豊橋駅地下道コインロッカーなお、豊橋駅には駅前から駅東口へ通じる地下道が存在し、改築以前はこの地下道が駅西口まで延びていたそうである。また、この地下道東端に豊橋市社会福祉協議会が運営するコインロッカーが存在する。この地下道が以前から(豊橋)市道である事を考えると、改築以前に駅地下部にあったコインロッカーが地下道東端まで移設された可能性もあり、もしかすると「第3の鍵」の「コインロッカー」がこの場所にあるのかもしれない。



− 最後の鍵 −

せかキラ77話21p7コマ目に描かれた…Game of searchesの終着地でもあり、真紀が万葉にプロポーズした場所となったこの「K駅」だが、作中で既に駅名の一部が「府駅」ハッキリと描かれている。そして、その駅名に該当する駅は「秋吉家周辺」と思われる地域には一つしか存在しない。国府駅である。
ただし、当該コマは単行本化される際にページ左側の描写が少々削られたため、単行本の描写では駅名を読みとることはできない。

− 現地調査(2) −

せかキラ77話21p7コマ目と左の国府駅外観写真を比較すると、窓の配置・外壁の形状及び駅名看板の配置に至るまで一致しており、この駅がモデルとして描かれていることは間違いない。 国府駅昼国府駅夜
同22p1コマ目で真紀が立ちつくしていた駅2階のコンコース。コインロッカーの奥に見える窓は、コンコース内にある喫茶店のものである。他、窓の配置や柱の位置、看板・カタログ棚等の場所も作中の描写と一致している。国府駅コンコース昼
同コマで真紀が見ていたであろう構図。また、コインロッカーの右側に設置されている公衆電話も23p1コマ目をよく見ると僅かに描かれている事が確認できる。国府駅コインロッカー(全体)
さて、同22p3〜5コマ目で真紀が開けたコインロッカーは、23p1コマ目の描写によると「中央列の上から2段目」である。
国府駅コインロッカー7番拡大このコインロッカーの番号は左上から下段方向に「0001」「0002」と配されており、中央列上から2段目のロッカーは「0007」番となっている。
国府駅コインロッカー(上部)
0007番のコインロッカーを開けた構図。無論、作中と異なり中には何も入っていない。
なお、この写真のロッカー内に写っている物は、コインロッカーの扉が閉まらないよう蝶番に差し込んだ金属片の一部である。
国府駅コインロッカー(7番開扉)

− 結論 −

国府駅西口以上の通り、外観及び内部構造についても作中描写と完全に一致しており、また豊橋〜国府間が電車で7〜9分と移動しやすいことや、この駅自体が秋吉家に比較的近いという事を鑑みると、真紀が万葉に追いつきプロポーズの言葉を伝えた駅は「名古屋鉄道、国府駅」であると断定して良いと考えられる。



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